追悼 【小桃】

2003年6月14日(土)没。享年約8歳

7年間以上、山手で健気に子育てをしていた小桃・・・別れは突然やってきた。

2003年6月14日(土)夜、いつものように餌場に姿を現さないのをS井は訝しく思いながらも
これまでも1日くらいは餌場にいないことがあった為、もう満腹なのだろうと思っていた。
15日(日)夜にも現れないため、M浦さんにも報告。が、
4月の怪我の際、近くに居る事はわかっていたが4日間、餌場には来なかった、
そのことが念頭にあったため敢えてすぐには大捜索など行わなかった。

16日(月)にも出て来ないため、翌17日(火)午後2時からM浦、S井が捜索をすることに。
が、午後2時の所用を思い出したS井は用事を済ませた後、M浦家に寄り、
それから小桃の捜索に出かけようということになった。

所用を済ませたS井は2時半頃、何故か小桃捜索を急がねば、と急き立てられるような気持ちになった。
「捜索に直行したいから学院北門前で待っていてほしい。」とM浦家に電話する。

学院内通り抜けを渋るM浦さんに、早く行きたいからとS井は通り抜けを断固主張。
途中ハイシローを見かけたが、とにかく直行したい。小桃の餌場も横目で睨みながら道路を下る。

駐車場出入り口に差しかかると前方の落ち葉の溜まり場に、猫らしきものがS井の目に飛び込んで来た。
石垣に登ってその中を探そうと思っていた我々は、どちらかというと上の方を見ていて、
道路の片隅のゴミと落ち葉の溜まり場には余り注意を払わない筈だった。

その物体に引きつけられるように駆け寄ると、変わり果てた小桃のむくろだった・・・

M浦さんが遺体を掬い上げて石垣の上に置く。小桃は目を大きく見開き舌を左側にチョロリと出している。
目立った外傷はないが、死後3日くらいには見えた。
交通事故か、何なのか遺体の様子からは死因は全く窺い知れない。6月17日(火)午後3時のことだ。

丁度そのとき、近隣からの通報を受けた環境局の車が小桃の遺体を収容するため到着した。事情を話し、
帰ってもらうが、本当に間一髪、あと5分でも我々が遅かったら小桃の消息は永遠に分からなかったところだ。

因縁めくが、環境局の係員が出動の命を受けた14:28頃、S井は急に「急がなくちゃ!」と
いう気持ちに急き立てられたのだ。それまでは、昼間探しても小桃の方から出て来てくれるまでは、
見つかるまい、と捜索効果を余り期待していなかったのだ。
日頃グズなS井がわけもなくあんなに急いだのは、小桃に呼ばれたとしか思えない。

J先生に連絡し、「猫庭園」内、息子の太郎、母親(もしくは叔母)の「白黒母さん」
(不妊手術の際に急逝したパンダの姉)の眠る場所から1メートルほどのところに小桃を3人で埋葬した。

只一匹となった忘れ形見の花子はお墓の周りで遊びながら明るく母親を見送った。
今は離れてしまっているが、小桃との間に多数の子をなした夫のプリンスにもその足で知らせてあげた。

今は「小桃」と裏にマジックで大書したステンレス容器を見ても涙が出るが、
子育て中はガリガリに痩せていたという小桃は最後には丸々と太っていた。
皆に愛され親しまれ、その猫生は十分に幸せだったと思いたい。

J先生ご一家は早速その夜、お墓にきれいなカーネーションの花束を手向けてくださった。
小桃を悼んでか、ワカメがじーっとお墓を見つめている

J先生からのメール:  考えれば考えるほど悲しくなりますね。
子供たちに小桃の写真を見せながら今日の話をしました。
娘の提案で「小桃」という可愛らしい名前にあった花を持っていくことにしました。
ちょっと離れると、ワカメちゃんが来て、しばらくお墓の上に座りました。

ワカメちゃんには、小桃のことがわかるのかしら。

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